2006/01/17(火) 11年前の記憶。

1995年1月16日(月)

●夜
大学生だった僕。友人達とJR芦屋駅前の居酒屋「村さ来」で飲み会。終電で帰宅。
誰と飲んでいたかは覚えていない。

1995年1月17日(火)

●午前5時30分頃
いつもなら起きない時間に目が覚める。もう少し寝ようと目をつぶるが眠れず、
うつ伏せになって枕元に置いてあった文庫本を読み始める。

●午前5時46分
突然激しく家全体が揺れ始める。隣の部屋で寝ていた親父が「布団を被れ!」と
叫んだので、慌てて布団を被る。頭上に天井から吊られていた3つの電球どうしが
ぶつかり合い、ガラスの欠片が僕の上に容赦なく落ちて来る。

●午前5時50分頃
隣の部屋から、親父が「余震がまだ来るからそのままじっとしとけ!」と叫ぶ。
飛行機が近所に墜落したんだと思っていた僕は、この時点で地震だった事を知る。

●午前6時頃
親父がようやく僕の部屋に助けに来てくれる。
僕の布団や部屋の床にたくさんのガラスの欠片が落ちていて、部屋から出られない。
おふくろがスリッパを持って来てくれて、ようやく部屋から出る。

●午前6時30分頃
テレビの電源が入るようになったので、NHKニュースを見る。
伊丹市でこれほど揺れたのだから、東京は廃墟だなと思っていたのだが、
意外にも震源は兵庫県付近である事を知り、驚く。
テレビの報道は、後々にも見る事が出来るよう、ビデオに録画しておく事にする。

●午前7時頃
阪神電車が脱線・転覆している映像、阪神高速の高架橋が倒れている映像が流れる。
神戸市東灘区等の数箇所で大きな火災が発生している映像が流れ、呆然としてしまう。
この時点になって、神戸に住む友達らの事が心配になり始め、電話するがつながらない。

●午前9時頃
ずっとテレビに流れる報道を見て、ヘリから撮られた映像等に釘付けになっていたが、
伊丹市内でも、新幹線の高架が数箇所と、阪急伊丹駅が倒壊したとのニュースが入る。

●午前9時20分頃
阪急伊丹駅の様子を見に行く。既に2~3の放送局のアナウンサーやカメラマンが生中継。
e0069848_765096.jpg

…このあたりまでが当日の記憶で有る。
後は、いろいろな事をしたのだが、当日だったか翌日だったかが鮮明では無い。

あれから11年の月日が流れた。

僕が同級生達と4人で始めたボランティアサークルは、震災直後の2月中旬頃から、
被災した子ども達への無料家庭教師派遣をスタートした。
当時、新聞紙面上の震災記事の中で、無料で家庭教師をしてくれる大人を募集し、
かたや無料で家庭教師に来て欲しい児童の保護者を募集。パイプ役を務めた。

当時のことを書き始めると、一向に終りを見ないので、
この年表この動画をご覧頂ければと思う。

このボランティアサークルも、今日では特定非営利活動法人格を持ち、
活動を始めた当時の友人が、一度就職した企業を辞め、現在、代表を務めている。

阪神・淡路大震災で犠牲になった6,434人の方々に支えられて、
僕達は幸せとか悲しみとかを分け合いながら、生きて行けるようになったと思っている。
[PR]
by beach-village | 2006-01-17 23:46 | 生活と文化
<< 2006/01/18(水) 関... 2006/01/16(月) ラ... >>